さて、空港内を巡回しているシャトルバスに乗り込み指示されたターミナルには辿り着いたものの、もはやそこのチェックインカウンターには誰もいない。当然であろう、乗り継ぎ便の出発時間はすでに過ぎてしまっている。
さあ、これには困った。そこに行きつくまでにももちろん不安はありながら、自分たちが動いている間はまだ“可能性”という掴める藁があるかもしれないと薄い望みを捨てずにいることはできた。前にも書いたように、自分たちばかりではなく同じ不安を抱えながらともに動いてくれている幾人かの人たちがいたことも多少気休めになっていたのである。
自分ばかりではなくそこにいるすべての人たちが唖然と立ちすくむ。それぞれの手に乗り継ぐためのチケットはあるものの、便はすでに空の上。しかも航空会社の受け付けにスタッフの誰ひとり残っておらずなすすべがない。
ここまで急ぎ足させてしまったので、連れの3名にはとりあえず椅子に掛けてゆっくりしてもらう。このような予期せぬ、しかも理不尽ともいえる旅に同行してもらっているのである。日本へ着くとすぐにコンサートツアーのはじまる彼らにはできる限りリラックスしてもらわなければならない。
自分にできること、それは機内にいる時から考えていた。乗り継ぎ便に乗れなかった時のことを想定してのことであるが、もしそのようになった場合、ふたつのことをやらなければならない。まず自分たちを最速に日本まで運んでくれる便を探し手配すること。そしてその日の寝場所を確保することである。
ターミナル内には話のできる相手がいないことをすでに確認している。そうなれば自分の知り合いを通じて手配を進めていく他はない。我々以外の乗り損なった人々も各々の携帯電話から知人や旅行会社などにコンタクトはじめている。
不幸中の幸いかANAのパリ支店長(ミラノ兼任)の連絡先が手元にあったために迷いなく助けを求めている。日本出張中であった彼は就寝時に叩き起こされながらも迅速に動き、まず我々の立ち往生しているターミナルへスタッフを送ることを約束してくれている。支店長自らが方々と連携、連絡を取り合いながら我々、残され人救済に動きはじめはしたが、そこからまだかなりの時間を待たされることになる。
どのくらい時間が経ったのであろう。ANAのスタッフが我々の目の前に姿を現したのはさらに90分ほど経ってのことだっただろうか。時計はすでに夜の10時を回っていた。疲労困憊は当然ながらそれでも我々の話を聞いてくれる日本人スタッフの登場は計り知れない安堵感を与えてくれている。
交渉の末、翌朝、11時過ぎのフライト(羽田行き)に我々4名乗せてもらえることが決まり、まずは一安心。これに乗れさえすれば日本へ到着しながら最初のコンサートに穴を開けずにすむと確信したからである。もちろん到着後の移動など余裕のあるものではないためにアーティストの面々にはハードワークさせてしまうが、ここでしっかり詰めておけばこの先流れには乗れることだろう。
スーツケースなど荷物も確実に届くようにとスタッフに注意を促した後、このフランクフルト空港の最寄りにホテルを予約して、そこから軽めの夕食をとることになる。時計はすでに23時に近づいていた。
堂満尚樹(音楽ライター)
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